はじめまして、「じゃむち通信」の読者諸君。俺の名は佐々木蔵之介だ。
日頃はリングで格闘に明け暮れる俺だが、皆も知っているとおり、惑星ピスタチオという劇団で演劇にも携わっている。その縁で、今回からこのページを担当させてもらうことになったぞ。文章を書くのは初めてだが、リング同様、手を抜くつもりはない。以後よろしくお付き合いの程を頼む。
さて、「佐々木蔵之介の世界」連載第1回にあたって、まず俺の生い立ちか話すことにしよう。
俺は、京都は二条城の北にある、結構由緒正しい造り酒屋の次男坊として生まれた。ガキの頃から家風に馴染まず、格闘技に異常な興味を持っていた。なぜかって?さぁ、なんでだろう。とにかく闘うことが俺はオヤツよりも大好きだったのだ。 |
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| 幼稚園の頃には小学5年生をケンカで泣かせていたし、野犬の群れに飛び込むような無茶もした。俺はトレーニングのつもりだったが、当時の俺の目に余る暴走ぶりには、ばあやもホトホト手を焼いていたようだ。厳格な父にはよく殴り倒され、暗い酒蔵に閉じ込められた。そんな時、俺は決まって怒りに任せて蔵の中の一升瓶を片っ端から水平斬りにしていった。何回目かに閉じ込められたとき、俺はついに、1本の一升瓶を10枚斬りすることに成功した。俺の代表的な技の一つであるスパークリング・シュレッダー・ホールドはこの時の10枚斬りチョップがかなりのヒントになっている。しかし今にして思えばこの頃の俺は、ただ力任せに手足を振り回す脳なしの乱暴者にすぎなかった。 |
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| その俺に格闘家の精神をたたきこんでくれたのは、プロレスの神様・カール・ゴッチだ。中学3年の夏休み、俺は幸運にも懇意にしているレスラーの紹介で、フロリダのゴッチ道場に入門する機会を得た。ゴッチは俺のような若造にも、他のレスラーと分け隔てなく、数々のスープレックス、サブミションを教えてくれた。ゴッチはよく動物園に絵を描きに俺を連れて行ってくれた。俺は最初、ただ彼が動物好きなだけだと思って不満を言った。「ゴッチ、こんな所はいいから、早くリングにもどって技を教えてくれ」すると、ゴッチはあの人なつっこい笑顔を浮かべてこういった。「蔵之介。本当に強い先生は、リングの外にいるものだ」俺はハっとした。そうか、ゴッチは猿や熊の絵を描きながら、その無駄のない筋肉、しなやかな動き、そして野生の闘争本能を観察していたのだ。格闘家にとってはジムだけがトレーニングの場ではないのだ。俺は物凄く感動した!以来、俺もヒマがあれば動物園にいくようにしている。ただし、日本の動物園の動物は狭いおりの中に閉じ込められて野生を失っているから、もっぱら行くのはフロリダかリスボンの動物園だ。 |
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| 高校3年の秋、俺は進学かプロ入りかの選択を迫られることになた。俺は、自慢じゃないが学業も結構できた。そうなると、親は欲が出るものらしい。「せめて人並みに大学くらいは出ておくれ。」と涙ながらに懇願されては、さすがに格闘馬鹿の俺も心を動かされた。 |
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結局俺は、大学へ行くと同時に、フリーの格闘家としてあちこちのリングに顔を出すという2足のわらじを履くことになった。この際卒業するまで、いろいろな団体をじっくり見てやろうという腹づもりだったのだが、そのうち妙なことになった。大学の友人たちとホンの遊びのつもりで始めた劇団がいつの間にかプロの劇団になり、本格的に舞台活動を続けることになってしまっていたのだ。俺はどうやら役者としても天分があったらしい。俺は大学を卒業してからも、格闘家と役者という2足のわらじを履き続けた。そんな俺に、ゴッチは言った。
「蔵之介、君のようなすばらしい格闘家が、なぜ芝居などするのだ?」俺はこう答えた。「先生、観客に本物を見せるという点で、舞台に立つのもリングに立つのも同じことです。」 |
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| 実際、試合と芝居の両立は、予想以上に辛いものだった。俺の所属する劇団はパワフルなアクトが売りで、稽古はそこらの道場よりは数倍厳しい。その苛酷な稽古を長時間した後、俺は重い体をひきずってジムに通う。疲れ切った俺のボディに、容赦なくキックとパンチが浴びせられる。しかし、リングの上に舞台を持ち込むことだけは俺には許されなかった。俺のことを「趣味でリングに立つ甘ちゃんファイター」と批判するマスコミがいるのも知っている。どうせ俺が連戦連勝していることをやっかんでのことだと思うが、この場を借りてそいつらにひとこと言っておく。冗談じゃねぇ!リングと舞台、2倍の喝采を受けるために。俺は50倍のトレーニングを積んでいるんだ! |
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| さて、生い立ちはこれくらいにしといて、昨年の俺にとって最大のタイトル戦となった7・14有明コロシアム「対ドールマン戦」について話そう。 |
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| あれは、かつてない試練だった。今だからいうが、実はあの時俺は、前回の対シャムロック戦で痛めた足首が完治していなかった。その上、足首をかばう負担で、ひざと腰まで痛めてしまっていた。ジムではミットを蹴る度に腰に激痛が走るありさまだ。その体でシリーズをフル出場。しかも俺の劇団は東京・神戸の二都市公演をスタートしていたので、これも全ステージ出演した。俺の役は「ガン細胞の首領」という役で、激しい格闘シーンをこなさなくてはならない。俺の疲労は限界に達していた。最も重要なタイトル戦にこんなコンディションで臨む馬鹿は俺くらいだろう。だが、芝居などやっているから負けたんだ、などとは絶対に言われたくなかった。 |
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| 試合の結果は、皆ご存知のとおりだ。レフェリーから背中を叩かれた時は、一瞬何が起こったのかわからなかった。第3Rでカウンターを1発もらってから記憶が全部飛んでしまっていたのだ。足もとを見ると奴がうずくまっている。それで、半信半疑ながらも俺は両手を上げたというわけだ。後でビデオを見て、フィニッシュが膝十字固めだと知ったくらいだ。だが、偶然じゃない。俺の格闘家としての本能が奴よりも勝っていただけのことだ。 |
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そんなわけで、俺はとうぶん2足のわらじを脱ぐつもりはない。しかし、どっちのわらじもピカピカに履きこなしてやる。俺を応援するには気合が必要だぞ!
※次号は新進ピアニスト・佐々木蔵之介の生い立ちです。
「ひろの世界」救済のお知らせ!
後藤ひろひとが遊気舎公演を2週間後に控えながらも台本が1/3しか書けていない為、今回に限り惑星ピスタチオ・佐々木蔵之介氏の執筆をお願いいたしました。「ひろの世界」は来月号より平常どおり連載いたします。 |